私は、これまでかなり人目を気にして
自意識過剰に生きてきたと思うんですけど
しかし、自分がどう見られているか、
どう思われてるかと気にしている一方で、、
結局、他のみんなも自分のことしか考えてないんですね。
つまり、”私”のことって
自分が思ってるほど人は見てないんですよね。
何か引っかかるものがあれば別ですが、
普段過ごしている中で
自分の存在て
数秒後には忘れられてることがほとんどじゃないかと
思ってます。
そして振り返ると
今まであまりにも自分のことばかり意識してるのは
勿体無かったなと思いました。
視野が狭すぎました(-ω-)
色んなチャンスを見逃してたわけです。
今でも人目が全く気にならないわけではないですが
しかし、
意識的に周りに注意を払うようになると
今まで気付かなかったことに
気付くようになりました。
例えば
人から冷たい態度を取られたとき、、
”私は何か悪いことをしたのかな?”
”私は嫌われているのかもしれない、、”
て、以前の自分は考えていたわけですが
自己中だなって気付きました。
全部意識が「私」だったんですね。
しかし、ベクトルを相手に向けて
「この人は、どうしてそういう態度を取ったのか?」
を冷静に考えるようにしていきました。
もしかして、
あの人は機嫌が悪かったのかもしれない、
家庭でいやなことがあったのかな、
忙しくて疲れてたのかな、
とか。
原因は自分とは限らないですよね・・
もし本当に私のことが嫌いだとしても
じゃあ、本当に嫌われてるのか??
嫌われているとしたらどうして??
と考えてみます。
”そういえば嫌われてる根拠はないな、、”
”いや心当たりがあるかもしれない。”
もしくは
”嫌われてはいないけど、
何となく苦手と思われてるレベル”
かもしれない。
けれど、相手じゃないから分からないし
それって
『相手の課題』
なんです。
相手が好きかどうか決めることなんです。
それをアドラー心理学では
【課題の分離】
といいます。
私の考えるところはここまで、
そしてその先は相手の課題である
と線引きをするんです。
すべての人の感情に正解はありません。
この人好きだな、
この人好きじゃないな、
という感覚にマルバツはないですよね・・
逆にいうと
自分の感覚も正解であり
相手の感覚もまた正解なんです。
岸見 一郎さん・古賀 史健さん著の
「嫌われる勇気」
という本を読んで
私はこういう考え方ができるようになりました。
課題の分離ができるようになると
人間関係の悩みが
一つ一つ
自分で解決できるようになってきます。
私は、
人の言動を敏感にキャッチして
悶々としたり
取り越し苦労をしたり
気苦労を重ねたり
という経験を
本当に多くしてきました
もしくは
自分の親に対して、
相手を変えたい、と努力したり
変えようとして説得したり、
ということをよくしてきました。
(そのため5年間ものあいだ
親子関係で苦しんでいました)
ですが、
結局、他人は変えられませんよね。
自分が課題の線引きをすることで
気持ちが軽くなってきます。
妄想を膨らませたり、
相手を変えようという
無用な労力を使わなくなります
そういうわけで
人から嫌われてる?とか
なんか心がザワザワする、
とか思った場合は
相手にベクトルを向け、
冷静に考えてみます。
そしてある程度考えたら
ここから先は相手の課題だ
と身をひくことをしています。
他人にどう思われるか、
と頭の中で考えている時間を
自分が好きなこと
に変えていけると
毎日がとても楽になります。
むしろ
好きなことに集中するほど
人の目があまり気にならなくなってきます。
そして
好き、というエネルギーがあると
周りの人に優しくなれます。
苦しい時ほど
視野が狭くなっていないか?
と疑って
自分だけに向けられている意識を
一旦外に向けてみると良いです。
周りを見てみると
他のみんなも自分のことで日々いっぱいだから
みんな自分が大事なんです。
それで良いんです。
気付くことが大切かなと思います
その人ホントにあなたのこと嫌い?②

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