最近、気付いたことがあります。
それは
自分の行動を制限するのはすべて
<恥ずかしいから>
と
< 嫌われるのがこわい>
から。
過去の私は、ほぼこの2つの理由で
行動を躊躇したりしていました。
人前で話すことも、
・注目を浴びるのが恥ずかしいから・・
・喋るのが下手だと思われたら恥ずかしいから・・
・ダサいと思われたら恥ずかしいから・・
誰かに質問をしたい時も、
・こんなことも分からないのかと
バカにされるのが恥ずかしいから・・
・話を聞いてなかったのか?!
と思われるのが恥ずかしいから・・
大勢の前で手を挙げるのも
・みんなに見られるのが恥ずかしいから・・
・外見に自信がなくて恥ずかしいから・・
・口下手でうまく話せないのが恥ずかしいから・・
そして
誰かに頼みごとをしたいとき・・
こんな事を頼んで迷惑だと思われて
嫌われるんじゃないかと思ったり
自分の意見があるとき、
・反対意見を言ったら相手の機嫌を損ねて
嫌われてしまうんじゃないかと思ったり
相手の要求を断りたいとき、
・これを断ったら相手を失望させて
嫌われてしまうんじゃないかと思ったり
SNSやブログで発信をするとき、
嫉妬されたり、
大したことないとバカにされたり、
見下されたり、批判されたりして
嫌われてしまうんじゃないかと思ったり
。。
人の行動にブレーキをかけるのは
ほぼこの2つの感情だけじゃないかな・・
私はそうでした、、
でも、
最近は、これを自分で認識することで
逆に行動ができるようになりました。
何か躊躇した時に
「ああ、私はこれをすると恥ずかしいんだ
でも恥ずかしいっていう理由だけだよね?
どんだけ自分のことしか考えてないんだ?
てゆか、別に恥かいたっていいじゃん、
人って優しいよ。」
て自分で思うからです。
それに、
みんな基本的には自分のことしか考えてないので
私が恥かいたって、
思ってるほど誰も気にしてないです。
それよりも
「私分からないんです、
知らないので教えてください!!」
て素直に言えるほうが
よっぽど楽で、
自分の気持ちをオープンにしてると
相手も安心してくれるのか
心を開いてくれるので
皆んな結構優しいです^^
そんなわけで
今の私は、
周りに誰がいようが
分からないことは
人前でも手を挙げて
質問できるようになりました。
分からないことは
恥ずかしいことではなくて。
質問をするのは
相手の話を真剣に聞いているからで
むしろギブgive だと思っていて。
きっと学校の”先生”は
質問してくれる方が嬉しいに決まってます。
見えない敵を作っているのは
自分なんですね。
相手を敵にしてしまうのも
自分なんです。
人を信頼することが出来れば
こわいものはありません。
目の前の相手を
もう少し信じてみよう!
(この人はそんなにコワくないよ,て^^)
そして、 自分の気持ちを伝えてみよう。
初めはこわいし
私も今でもこわいことは沢山あるけれど
そういう時は
この人を信じて待ってみよう
と返事を待ちます。
すると、
意外と大丈夫なんですよね。
それでも不安がある時は
きっと、まだ自分の気持ちが
ちゃんと伝わっていないのかもしれないです。
もっと自分の気持ちを伝えてみよう。
本気だったり、
本心だったり、
本音というのは
相手に伝わるものです。
自分の情報を伝えてあげないと
相手は理解したくてもできないから。
そんなに簡単に人を信じれないって?
そういう時は
意識的に、信じようとしてみよう。
今の私もそうしています^^
そういう練習を続けているんです。
すると出来るようになってきます。
自分の行動を制限するのは「恥ずかしいから」ともう一つ・・・

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